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​10年の歩み・インタビュー

​2027年で10周年を迎えるドキュ・メメント。ドキュメンタリーファンから開催地である品川宿の人々にも愛されるイベントの起こりからこれまでの歩み、そして次の10年を見据えた展望まで主催の米本直樹、松井至の二人が語ります。

(聞き手:宮野かがり、撮影:吉野和保)

​ドキュ・メメントの始まり

――ドキュ・メメントの始まりについて教えてください

松井:10数年前、当時30代前半の僕は制作会社でテレビドキュメンタリーのディレクターとして勤務していました。

企画書を書き、方々と調整して、現場に取材へ行く。色んな人と出会い信頼関係を構築しながら作った映像をテレビ局に納品する仕事です。

現場で感じ考え、こちらが伝えたいと思っていたことが番組に合わせてカットされたり、局側の編集や構成・ナレーションにより大きく変わってしまう現状に大きなフラストレーションを抱いていました。

そこで、テレビ局に納品するための試写ではなく「一番エネルギーのある、はちきれんばかりの映像をぶちまける場所」を作ろうじゃないかと思いまして。同じように閉塞感を持っていた同年代の仲間と共に、まだ誰にも見られていない映像を持ち寄る第1試写会を作ることを思い立ったのです。

 

米本:僕は現在はイベントのプロデューサー的な立場ですが、初めの構想は松井たちが考えたもので、この頃は実行委員どころか、開催自体知りませんでした。

 

松井:SNSで呼びかけをしたところ、秋葉原で事業を立ち上げたばかりの方が空のオフィスを提供してくれることになり、プロジェクターとスピーカー、Macのノートを持ち込み、各自が作りたい映像を上映しました。

実際やってみると、それぞれの持ち寄った映像はテレビ番組版よりも荒削りで人間臭さがあって、面白かった。他業種の参加者を交えながら皆でお酒片手に語り合い、意見が飛び交い、そこにDJが曲をかけ始めたり、どこかのサラリーマンが自作の映像を発表したり……意味不明なグルーブのようなものが生まれて、深夜まで続きました。

そこで気付いたのが、まず多くの人が持つドキュメンタリーのイメージは、真面目で硬くて、教育的で……。ちょっととっつきにくいものだと思います。その殻を内側から破ることがまず大事なんだなと。そのためには、自分たち作り手が前に出て親しみやすく開かれた場にしていく必要がある。

その気づきが、今のドキュ・メメントへとつながっていきました。

 

つぎに池袋の廃校の図書館を会場にして、2回目を開催。150~200人ほどが来場したと記憶しています。SNSで広がり、さまざまな人が集まる場になっていきました。

 

米本:初めて参加者として足を運んだのはこのタイミングでした。松井は当時同じ会社の後輩で、直接誘われたことがきっかけです。自分はそれまで、テレビ番組の制作という範囲の中でしかドキュメンタリーのことを考えられなくなっていたので、本質的な意味で「やりたいことをやる」というのがどういうことなのか、突き付けられました。松井たちの熱意はすごく伝わってきましたし、同時にこれからの可能性も感じましたね。

松井:現在ドキュ・メメントの中核となっているメンバーも、その頃に集まってきました。

「ドキュメンタリーの寺子屋」と称して夜な夜な集まり、それぞれ作ってきた映像を見せ合い、学び合いました。

その時から今のドキュ・メメントの会場である品川宿に来るようになりました。

会場はお寺や居酒屋!?品川宿との出会い

――東京・品川宿で開催するようになった経緯や、地域の魅力を教えてください

米本:品川宿について簡単に説明すると、東海道の第一の宿場として、京都方面から江戸を目指して来た人々が最後に立ち寄る町でした。日本橋から西を目指す人たちも最初にそこに立ち寄った。つまり、古くから旅人が行き交い、泊まる場所として、よそ者を受け入れる文化が根付いていたのです。

 

松井:品川宿と出会ったきっかけは、取材先の方が品川宿のフリースペースに野菜を売りに通っていたことでした。「面白そうだからドキュメンタリーの寺子屋みたいなことをやれば?」とお声がけ頂いたんです。その中で、品川まちづくり協議会の方々との交流も生まれていきました。はじめて地域の人たちと接したわけですが、作り手の自分たちとは全く違う世界の方々で、多くの学びがありました。

当時の僕らは「ドキュメンタリーって面白いっすよ!」みたいなことしか言えなくて。それはもう押し売り状態で(笑)

協議会のみなさんは、そんな僕らを面白がって受け入れてくれて「やってみろ!」と背中を押してくれたのです。

 

米本:そこから現在に至るまで、地域のさまざまな会場を提供して頂いたり、地元の飲食店がケータリングを担当してくれたりなど一緒に歩んできました。

ドキュ・メメントを開催する土地として品川宿に出会った訳ですが、気が付くと地域の人たちに惹かれていって、もうかれこれ10年近く毎月協議会の会合にも参加しています。

 

松井:協議会からご依頼頂いて地域にまつわる映像を撮り、毎年ドキュ・メメントのオープニングで上映しています。来場者が、映像を通して品川宿との繋がりを感じられるようにしたいと思っています。

生身の人間がいちばん面白い

――一般的な映画や映像の上映会と異なり、未完成の作品を上映すること、賞を設けないことなど独自の方法で運営されていますね

松井:品川宿のフリースペースで活動していたとき出会った、親戚の介護をしながら生活している男性から言われた言葉が未だに忘れられないんです。

「悪いけどドキュメンタリー見れねえ。忙しい毎日でやっと空いた時間に自分よりも辛い人の人生なんて見れねえよ」と。

 

その人は、映像をただの消費物として捉えてなかったんです。画面の向こう側の他者との出会いと捉えているから出た発言だったと思う。映像を通して人と出会ってしまうと、受け止めすぎてしまう。そういう出会い方をしたくないという誠実さでもある。

 

ドキュメンタリーの偏りを感じました。物語を作ろうとするあまり辛い場面が際立って、過剰になっていく。でも実際の人生は決して辛いばかりではありません。品川の人には、実際に出演者に会ってほしいと思いました。みんな、面白い人が好きなんですよね。ですから、映像を見てください、ではなくて、面白い人を呼んで、実際会えるようにすれば良いのだと。そうすれば来てもらえるのではないかと思って「生身の人間が一番面白い」をコンセプトとしました。

映像の向こう側に生きている人がいる。そして同じ時代の空気を吸っているっていうことが、ドキュメンタリーの特権的に面白いところじゃないかと思っています。

映像が主役の会は他の映画祭に任せて、ドキュ・メメントでは映像はあくまで紹介であり、映像が終わった後に主人公と作り手が登壇し、一番ディープなインタビューを「目の前」で行う仕組みにしようと考えました。

僕らディレクターは、取材の中で知らなかった他者の世界に入っていく冒険をします。その醍醐味を、旨味や面白さを独占している訳です。それを、観客の皆さんもディレクターと同じように経験できたらすごいことになる。5、6個の登壇を半日かけて行うことで、あたかも自分が他者の世界に深く潜っていくディレクターになる体験を連続する。

 

イメージしたのはカウンター割烹の料理人。カウンターで自分のパフォーマンスを全部見せて、切る所から煮る所まで全部見える。客の食べるスピードに合わせて次々と出していく。美味しかったら顔で返してくる。感覚を受けとめながら体が反射的に動いていく。それをやってる作り手は圧倒的に強い。映像でそれができないかと思ったんです。

 

米本:通常の上映会との違いという意味では、ライブ感覚で入り込める点も挙げられます。観客席とスクリーンがある空間ではなく、居酒屋や寺、カフェなど地域の場所をお借りして展開しているイベントなので、日常に近い空間で、登壇者も参加者もフラットに楽しめますよ。

 

また、映画祭の場合はお目当てのプログラムを事前に選んで行くものですが、このイベントは事前のプロモーションがほとんどなく、当日いろいろな人が出てくる仕組みです。観客は全然関心がなかった人とも「こんな人いるんだ」と出会ってしまう。普段なら接点のないコミュニティの人たちが同じ空間で混ざり合い、重なり合うことの偶然性も大きな特徴です。

―― 毎年、会場では写真展示も行っていますね

松井:会場では八丈島在住の写真家・亀山亮さんの作品を展示しています。 初期の頃より、横断的に表現者を集めてきた取り組みの一環として続けているものです。

近年は、写真だけではなくノンフィクションのルポルタージュを書く人たちも減りました。しかし、テレビドキュメンタリーだけは資金的にまだ潤沢に残っている方だったため、イベントを始めた時から、文章も含めて写真も含め、ドキュメンタリー業界全体でできるだけ集まってもっと元気になった方がいいんじゃないのかと考えていました。

​試行錯誤を重ね、変化し続けた10年間

―― これまでの10年を振り返り、印象に残っているエピソードなどを教えてください

松井:ドキュメンタリーの概念自体を一回拡張しないとダメだろうということで、第1回目は「ドキュメンタリーの拡張」をテーマに、品川宿の5か所を会場にフェスのような雰囲気で開催しました。

米本:子供にドキュメンタリーを作ってもらおう、という試み「子どもシネマ」や「ドキュメンタリー×ヨガ」などひたすら実験を繰り返していましたね。

 

イベント後の打ち上げで、屋形船でカラオケ大会をやった時のことも、とても印象深い思い出です。中国の残留孤児の方が、テレサ・テン の「時の流れに身をまかせ」を熱唱したのですが、それがその人のアイデンティティと深く結びついていました。

そこから、立ち上げメンバーの一人が思いついた企画が、「移民カラオケ」です。海外から移り住んできて日本で暮らすひとたちの人生をドキュメンタリーで描いた上で、その本人が現場に登場して、自分にとっての「心の歌」をライブで歌うという、ドキュ・メメントならではの表現が生まれました。

 

松井:ある殺人事件をきっかけに踊れなくなったダンサーを撮った作品とダンサーご本人の登壇もありました。「人はなぜ踊るのか」をテーマとした上映に加え、ダンサーご本人が事件現場から10時間ほど歩いて来るといった儀式があり、会場到着後には演奏とダンスのパフォーマンスを行う緊張感のある登壇でした。

松井:コロナ禍(2020〜2021年)には、配信に切り替えました。

街へ出て困窮者を支援する人たちへの取材を重ね、ドキュメンタリー制作者による緊急アクション「ドキュミーム」を立ち上げ、短編を次々と制作。SNSを通じた困窮者支援の呼びかけも実施しました。

ドキュ・メメントから生まれた作品も

―― 松井さんの作品『走馬灯』をはじめドキュ・メメントの場から生まれたテレビ番組や長編作品も数多くあるそうですね

​松井:映画化につながった代表的な例だと初期からの仲間、奥間勝也さんの『骨を掘る男』が挙げられますね。長編作品になるかは分からない。それでも伝えたい一心だけで撮り続けていて、20分くらいの映像を、数回にわたってドキュ・メメントの場で出していたんですね。

もうひとつ、竹岡寛俊さんの『アダミアニ 祈りの谷』もありますね。

ジョージアへ長く通い取材を続けていた彼は、ある時帰国後すぐのタイミングで断片的につないだ映像を持ち込んでくれたこともありました。

 

米本:そういえば過去の登壇者の方々には、当初から映画化を目指していたかもちゃんと聞いたことがないし、本人に改めて聞いてみたいですね!

 

松井:企画を育ててる時って世界で一番孤独なんです。自分の中にだけイメージがある状態で、その魅力は言葉では説明が難しい 。それを映像で出して表現して、ワンシーンでもスタートした時の喜びがすごい。参加者からのフィードバックで「これでいいんだ」と思えた時の力が、また続けられる原動力になるのです。

第10回のテーマは「目の前の人を見る」

―― 第10回のテーマや見どころ、そして次の10年に向けたビジョンを教えてください

松井:今回のテーマは「目の前の人を見る」です。国内に焦点を絞り、映像やSNSの過剰な消費によって人間本来の「見つめる力」や想像力が損なわれ、目の前にいる人の背景や物語を十分に見られなくなっているという問題意識のもと設定しました。

 

異なる文化、宗教、介護、ジェンダー、地域など、それぞれ固有の世界を生きる人々を同じ人間として見つめ直し、分断や差別、脅威としての見方ではなく、その人の人生や考えへの理解を生む場を目指します。

 

米本:今回のラインナップには、介護と看取りの世界にいる人、東京の銭湯で働く人、同性カップルの世界、異なる宗教や文化背景を持つ学生が作った映像などが並ぶ予定です。全く違う世界の感覚を持つ人たちを、自分と地続きの世界にいる人として見つめ直すこと。そのテーマの核心に迫るものばかりです。

そして、会場も寺に加え居酒屋も予定していますので、初期の空気感に近いものをお届けできるのではないかと思っています。

 

松井:10年続けて来たこのイベントの仕組みを「誰でも始められるシステム」として1冊の本にまとめ、次世代に引き継いでいきたいと考えています。

参考にしてうまく使い倒してほしいですね。新しい映像の使用方法なので、みんな知ったら楽しいし、いろんなことが表現できるなと思っています。

 

「作り手が理想とする環境を自分たちで作ろう」。それをずっと掲げて10年間続けてきました。新しい若い人達が入ってきた今、今何が必要なのか。どういうドキュメントを作りたいのかっていうのを聞いて、どんどん更新していきたいです。

松井至

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1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
2022年耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国およそ40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
2025年、体験的​映像論『つぎの民話』を刊行。
2026年、東北の消えゆく山村に生きる人々を描いた映画『走馬灯』が第31回釜山国際映画祭に正式出品。12月にはシアター・イメージフォーラムにて劇場公開決定。

​米本直樹

​1976年川崎生まれ大森育ち。幼少期より映画が好きで、大学時代に自主映画の制作を始める。卒業後、制作会社テムジンでディレクター・プロデューサーとしてNHKを中心に多数のドキュメンタリー番組を制作。2020年に退社、フリーランスとして番組制作の傍らイベント運営や地域振興に関わる映像プロジェクトなど多様な活動を続ける。人間、文化、社会に関心をもち、独・台湾との国際共同制作『レッド・チルドレン』や、中国、韓国、東南アジア各国との共同制作も手がける。2022年、仲間たちと株式会社﹅﹅を開業。国内外を問わず、とびきりの才能たちと出会いながら映像の制作を続けている。

Copyright by ドキュ・メメント実行委員会

​助成:アーツカウンシル東京 [東京芸術文化創造発信助成(単年助成)]芸術創造活動

協賛:Tokyo Docs 東京ビデオセンター ﹅﹅ Film & Media リトルネロフィルムズ

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